計画書見せて
授業参観で使うはずだった、図工の計画書。
見せてと言っても全力で嫌がる息子。
理由を聞くと、恥ずかしいからと。
こういう時に使う「恥ずかしい」という感覚はきっと息子にしかわからない感覚。
なので「恥ずかしくないから大丈夫だよ。」という返しは、全く通じない。
息子が寝てから夜中コッソリ見るという手もあるが、そういうことはしたくない。(しちゃったことありますけどね)
変に繊細なところがある
今回の計画書もそうだが、作文など自分の考えを表現したものを親に見られるのを極端に嫌がる。
自分の内面を見られるのが恥ずかしいという感じなのかな。
とくに嫌だと思われているのがそういうのを見て、親が良くも悪くも感想を言うこと。
何の気なしの感想でもそれを「批判や批評」と感じてしまうよう。
叱っても響かない性格なのに、批判はストレートに突き刺さるらしい。
「批判も批評も無しで」
反応が嫌なら反応しないと誓ったら見せてくれるかな?
母 「絶対に見ても何も言わない。顔をピクリともさせない。だから見せて。」
この提案に、意外にも食いつきが良く
息子 「絶対だよ。何も言わない。顔で表現もしないでよ。」
母 「うん。絶対にしない。約束する。」
おー--やっと交渉成立。
素では自信が無いので変身
ここは絶対に失敗できない。
ここで失敗したら二度とこういうプリント出さなくなるかもと思い、覆面レスラーのような忍者のような風貌に変身。
パーカーのフードを被り、紐をギューッと絞って目だけが出る状態に。
息子が計画書のプリントを持って来て、感情を無にして見てみる。
何故これが恥ずかしい?
良くも悪くもフツーの計画書。
あっ。こういう「良くも悪くもフツー」とかの評価が嫌だったんだ。
私の言い方、おばさんなだけあって、子供にとってはライトな感じではなく重量級に重いんだろうな。
言う内容と言い方の減量を心掛けてみようかな。
風呂上がりに裸でなかなか着替えてくれない息子よ。
外見はさらけ出さなくていいから、内面を恥ずかしがらず見せておくれよと思う出来事でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿